センテンドレ線

郊外電車

バチャニィー広場から約10分、アルパード橋駅で降りるとそこはオーブダ。1873年、ブダ、ペストそしてオーブダがひとつに

なりブダペスト市が誕生した。
左写真アルパート橋駅、右は
駅裏にあるヴァザレリ美術館。建物は元貴族の馬小屋を利用している。

左は中央広場(Fo ter),
右はその広場にある3区区役所。土曜日午後はここで結婚式が行われるため、入れ替わり立ち代り花嫁花婿がやってくる。広場中央の街燈はガス燈で一日中灯りを燈している。左写真には魚料理で有名な「SIPOS」レストラン。

約40分でセンテンドレ、ブダペストから20kmしか離れていなく
ベッドタウン化し、郊外電車も朝夕混んでいる。オスマントルコに
追われ逃げてきたセルビア人によって造られた街。ハンガリー国内
ではここでしか見られない街造り。駅前の地下道をくぐり道を真直ぐ
進むと中央広場(写真右左下)。
いつ来ても観光客で賑わっており、広場のカフェで時を過ごすのも
楽しい。また、入り込んだ裏路地を探索するのも楽しい。

下、コヴァチュ・マルギット美術館。女流陶芸家、表情豊な人形などが展示されている。必見。中央広場からすぐ。

左写真はブラゴヴェステンシュカ
(受胎告知)教会。ロココ様式で
カトリック教会と違い、中はイコン
で飾ってある。入場有料。センテ
ンドレには八つ教会があり、うち
四つがセルビア正教教会。

左、Varga Imre(ヴァルガ 
イムレ)の作品。ここを50m
ほど行くと彼の美術館がある。
右はこの地区に合ったロージャへジィ・カフェ。中にマジパン
博物館もある。(Hidfo通り)

Florian広場地下道にはローマ時代の発掘された物などが
展示されている。ドナウ川はローマ帝国の国境だったため、
ドナウ川沿いはローマ時代のものが数多く発掘されている。
今のドナウより西、トランスダニューブはパンノ二ア州があり、
州都アクインクムもブダペストの北、オーブダにあった。そして、
兵士はこのFlorian広場付近に駐屯していた。
左写真はローマ軍の公衆浴場跡。残念ながら2003年夏現在
公開はされていない。

バチャーニィ広場は2番地下鉄が走っている。郊外電車
センテンドレ線の終着駅のため、乗換え客で朝夕は混雑
している。郊外電車駅も地下にある。地上に出るとドナウ
川を挟み向こう岸に国会議事堂がそびえ建っている。高さ
はハンガリー人が国土征服した896年に因み96mになっ
ている。当時砂岩で造られた為、その修復のため毎年どっ
かかしらに足場を組み工事が行われている。8月20日の
花火大会はここからの眺めも素晴らしい。19番市電の終
点でもある。写真左下はドイツ軍撤退時全ての橋を破壊し
ていった為、戦後臨時に歩行者専用橋「コシュート橋」が
ここに架けられていた。その記念碑。1964年エリザベート
橋が修復されたのと同時に取り外された。

下は聖アンナ教会横のカフェ・
アンゲリカ。中は20世紀初期の
カフェの雰囲気が、外は近年テ
ラスになり夏の夜の夕涼みには
最適。

写真真中上は聖アンナ教会、バロック様式で1762年
完成した。ハンガリーまたはブダペストでバロック様式で
は一番美しい教会と言われている。
左写真はバチャーニィ広場より少しくさり橋の方に歩いた、
シラージ・デジョー広場に建つネオ・ゴシック様式の教会で
1896年完成。バチャニィー広場にはつい最近修復を終えた
ブダ地区初(1902年4月13日オープン)の市場が建つ。
今はスーパーマーケット。

ARPÁD HÍD駅

BATTHÁNY TÉR駅

SZENTENDRE駅

AQUINCUM駅

左はアクインクム駅下りホームより。写真左にはローマ時代の競技場跡の遺跡が見られ、7,8千人収容出来たそうだ。右の写真はローマ・パンノ二ア州、州都
アクインクム。古代ケルト語で「豊な水」と言う意味。全盛期6万人以上が住んでいた。写真には公衆浴場が(手前)写っている。

アクインクム遺跡には郊外電車を降り、ブダペスト方面へ。
国鉄高架下をくぐると直ぐ。徒歩4,5分。4月ー10月公開。