思い出
交通料金
毎年騰がる交通料金。記憶を辿ると1982年、ブダペストのバスは1.5Ft、地下鉄・トロリーバス・市電は1Ftだった。チケットはバスが青色、その他は黄色だった。これは料金が統一されるまで、1990年代半ばまでこうだったと思う。定期券も青色のバス利用可能のもの、そして黄色のバスは使用できないものと分かれていた。これも1990年代半ば以後統一された。
地下鉄はチケットでなく、1Ft玉を改札で機械に放り込むとゲートが開いた。1985年春には2Ftに騰がり、機械に2Ft玉を放り込んだ。しかし、それ以後年々料金が騰がり、地下鉄もチケット使用になった。
国鉄も1983年に100%の値上げがあり、ブダペスト、ナジュコロシュ間、26Ftが52Ftなっており驚いた。
1983年には、新5Ft、10Ft、20Ft玉、そして1000Ft札が発行された。
1982年、街角のアイスクリームは1.5〜2Ft位だったと思う。当時はイタリア風アイスでなく、機械で押し出すソフトクリームだった。1988年にオープンしたマクドナルドなどはなく、個人経営のハンバーガー屋が1983年頃から流行り、東駅前の屋台のハンバーガーを良く頬張った。また、列車に乗るときには買って車内で食べた。
一つ20Ftだった。まだまだ当時はホットドッグが多く(アメリカンスタイルでなく、フランスパンの様なパンに穴を開け、そこにソーセージを突っ込みケチャップ、マスタードを入れた)、ハンバーガーは珍しかった。街角のあちらこちらでホットドッグを売っていたが今はもうないのかなぁ。蒸かしたトウモロコシも街でよく売っていた。10〜20Ft(1982〜1984年)で塩をまぶして食べた。1982年、1ドルは37Ft、確か1Ftは6円位だった。
テレビ放送
現在、地上波で国営1チャンネル、民放2チャンネル (ケーブル多数)だが共産党時代は国営2チャンネルだけであった。そして1988年ソウルオリンピックまでは月曜日はまったく放送は無かった。博物館と同じ月曜日はお休み。放送日も平日は夕方5時ごろから始まり、夜10時、11時には放送が終わった。週末も午前中9時から12時過ぎまで。一度休みが入り、午後再び放送が始まった。
この放送体制も、ソウルオリンピック、政権交代を機に変わっていった。