ハンガリーの鉄道

C50ディーゼル機関車
国内で最も長い森林鉄道で全長66km。1918年開業当時鉄道馬車であったが、1922年に蒸気機関車が走った。1945年国営化され、1954年から旅客運搬も始めた。最初のディーゼル機関車は1962年に購入し、蒸気機関車は1965年に廃止になった。旅客運搬はチョモデール・キシュトルマーチュ間18kmだが、本線はチョモデール・オルタールツ間28km。そして2kmから10kmの数多くの支線がある。1999年よりルーマニア製蒸気機関車「アーベル」490.2002型が観光用に走っている。1999年に Lenti森林鉄道と線路が繋がった。Csomoder - Kistolmacs 間運行。
Mk48ディーゼル機関車 490型蒸気機関車
Mk48ディーゼル機関車

600mm軌間の路線を1893年 Frankensiessdorf Henrik プロイセン伯爵がHuta(Kiralyret)で伐採された材木の運搬用に建設した。キシュマロシュ・キラーイレート間10kmの旅客運搬は1954年5月26日始まりディーゼル機関車の運行もこの年始まった。最期の蒸気機関車(特別列車)は1972年9月30日にキライレート駅に到着した。70年代年間40−50万人が利用した。キラーイレート森林鉄道は1978年11月1日に子供鉄道として生まれ変わった。国鉄ヴェローツ駅とキシュマロシュ、キラーイレート間のある部分は760mm軌間に引きなおした。これには1978年に廃線となった国鉄Cegléd・Hantháza間、標準軌間の支線ホームが使われた。貨物運搬は1992年廃止、これによりキシュマロシュと国鉄ヴェローツ間2kmも廃線となった。(今も線路だけ部分的に寂しく残っている。) Kismaros - Kiralyret 間運行。

Kismaros駅 Kiralyret駅
394型蒸気機関車
博物館鉄道はGySEV鉄道及び交通博物館が、廃線になっていた狭軌鉄道の機関車、客車の保管目的に始めた。Fertõboz−Barátság間(1200m)を1970年11月6日に、Barátság−Kastély間(2400m)及びKastély駅、車両区は1972年7月8日完成した。GySEV鉄道のFertõbozと繋がっておりセーチェーニィ宮殿にもこの鉄道で行ける
Mk48ディーゼル機関車 Kecskemet KK−Kiskoros KK(54km)
Kecskemet KK−Kiskunmajsa KK(52km)
国内1の長さ98kmを誇る軽便鉄道。ケチケメート営林署が1917年Bugaci Puszta(現Bugac felso)とAlsomonostoriレンガ工場の間(15km)を、ブガツ森林の材木利用目的のため産業鉄道を引いた。ケチケメート産業鉄道は1928年9月12日、本線53kmを開業した。商業が盛んになり貨物車は農産物、果物、材木そしてレンガを運びケチケメート貨物駅(現KK駅)にやって来た。農家の人々には唯一の交通手段であった。1929−1933年の世界大恐慌時には旅行者を運び廃線を逃れた。1935年時間短縮のため気動車を購入。1949年1月5日、ケチケメート軽便鉄道となり国鉄傘下となる。1961年ディーゼル機関車を導入。同年ケチケメート-レーヴァージ広場-ケチケメート貨物駅間(1km)を廃止。1980年Halasi通り陸橋建設のため貨物駅とケチケメートALSÓ駅間廃止。1989年以後旅客運搬のみ行っている。1984年より490型蒸気機関車がBUGACまで走っている。
D-04ディーゼル機関車 C50ディーゼル
機関車
Kecskemet
KK駅
Mk48ディーゼル機関車 Gyongyos-Matrafured(7km)
Gyongyos-Lajoshaza(11km)
C50ディーゼル
機関車

マートラ鉄道網は個々の鉄道を結び誕生した。主な役割は森林から伐採された木材、石切場からの石材の運搬であった。初期の運搬は鉄道馬車を使い1906年に始まった。1916年、ジョンジョシュショイモシとラヨシュハーザ間の蒸気機関車運行が始まった。1917年ジョンジョシュ、ジョンジョシュショイモシュ間、1923年にはジョンジョシュとマートラフレド間に線路が引かれた。後路線は1926年定時の旅客列車運行も始まった。1949年国営化が始まり、全ての路線は合併した。1951年時には全長距離46kmに及んだ。1960−1964年に機関車のディーゼル化が行われた。1961年より1987年までは「マートラ・ピオネール鉄道」と呼ばれていた。旅客数が最も多かったのは1961年で40万人以上が利用した。1978年に材木、1980年には石材の運搬が廃止となり、1985年よ旅客運搬だけとなった。Lajosháza線は5月から9月までの運行だが、Mátra線は1年中運行されている。

Mk48ディーゼル機関車 Nyiregyhaza NyK-Dombrad(51km)
Nyiregyhaza NyK-Balsai Tisza part(39km)
ニーレジュハーザ地方の軽便鉄道は本線のニーレジュハーザ、ドムブラード間(51km)が1905年12月21日に、支線のヘルナタニャ、バルシャイ・ティサ・パルト間(15km)が1911年8月6日に完成した。ニーレジュハーザ市内、ショーシュトーギョージュフュルドーまで(8km)は1911年に電化された。1930年10月23日にBalsai Tisza鉄橋が完成しボドログコズ産業鉄道と、そしヘジュコズ鉄道と結ばれ全長187kmに及んだ。貨物列車が農産物を山地へ運び、帰りには木材を運んでいた。1937年から気動車もNyíegyház-Sárospatak間を走った。1944年末Balsai Tisza鉄橋も破壊され、二度と架け直される事はなく、渡し舟に乗換旅を続けた。三つの路線は1949年10月21日に「ニールボドロギ軽便鉄道」と名が変わり、ハンガリー国鉄に営業権が移った。ニーレジュハーザの電化部分は1969年3月31日廃止になった。Sárospatak-Elágazás-Zemplénagád線(1976年12月31日)そしてKenézlõi Tisza part-Sárospatak-Füzérkomlós線は(1980年11月29日)に廃線となった。貨物輸送は1996年に廃止となり、旅客運送は今日も重要な役割をおおっている。1996年4月1日より「ニール地方軽便鉄道」の名で運行されている。
C50ディーゼル機関車 客車 Balatonfenyves駅
国鉄最後の産業鉄道。1950年10月13日完成。蒸気機関車での牽引を1953年よりディーゼル機関車に役割は移った。旅客運搬は1956年6月3日より始まった。1960年4月1日、国内他の産業鉄道と同時にハンガリー国鉄営業下に置かれた。
チョモデール森林鉄道
キラーイレート森林鉄道
セーチェーニィ博物館鉄道
ケチュケメート軽便鉄道(国鉄)
マートラ鉄道
ニール地方
バラトンフェニュヴェシュ産業鉄道
リラフレド森林鉄道
客車にも徐々にだがエアーブレーキを設置している。
軽便鉄道地図
S05 レールバス 愛称:大平原を駆ける「銀色うさぎ」 490型
蒸気機関車
447型蒸気機関車
Mk48ディーゼル機関車
Miskolc-Dorottya utca - Papirgyar - Lillafured - Gradna(14km)本線を1921年5月17日に開業した。見所はViadukt峡谷(64m)、Lillafured駅前後にあるトンネル(100-110m)、トンネルに入ると遠足の子供達が一斉に叫び始める。そして、Haromi湖に沿った湾曲の橋(32m)。Papirgyar駅よりの支線は1922年にMahocaまで、1940年にTaksa-Lapaまで、そして1949年にFarkas-Godorまで延長された。また、他の支線ではTatar-Aroki線が1921年、Kerek-Hegyit線が1922年に完成した。本線での旅客運搬が始まったのは1924年、Farkas-Godor線では1963年に始まった。このリラフレド森林鉄道の名は1929年より使っている。鉄道では、材木以外にMarta炭鉱より石炭、Garadna峡谷より白雲石なども運搬していた。1970年代に入ると貨物運搬は徐々に減っていき、1990年より廃線を免れた路線では旅客運搬のみとなった。1972年まで運行されていた447型蒸気機関車は2000年よりノスタルジア運行されている。ハンガリー軽便鉄道で最も美しい景色を楽しめるのはこの路線であろう。本線は冬場も運行されている。Farkas-Godor線は今Mahocaまでの運転で、6月ー8月の土曜の2往復のみ。
C50ディーゼル機関車(ハンガリーで唯一エアーブレーキが使用されている)
左より、Miskolc−Dorottya通り駅、Lillafured駅、Garadna駅。そして、Diosgyor−Majlath駅だが二つあり(一つはどちらかと言うと停留場)写真は本社車両基地内にあり、運行上は停車しない。Dorottya通り駅にはMiskolc−Tisza駅より1番の市電で行かれる。
カソー森林鉄道
3438型
蒸気機関車
C50ディーゼル機関車

カソー平野はショモジ県内陸部で最も大きい森林地帯。
この森林鉄道は1952−1955年に木材を安全に運搬する為に建設された。Szenta−Bojsza−Rinya本線、Bojsza−Kaszo支線は1955年6月2日に完成した。カソーで伐採された木材を、ディーゼル機関車牽引貨車でSzentaの材木所と国鉄駅に運搬した。1961年5月17日より、常時旅客運搬が始まった。1985年に貨物運搬は終わり、現在はSzenta−Kaszo間(8km)だけになり、バラータ湖自然保護地域南部の境を走っている。1997年12月、409・2001号蒸気機関車をルーマニアより購入した。それ故、機関車はクリスマス号と名付けられた。

764形(409形)蒸気機関車

森林・軽便鉄道

狭軌鉄道は標準1435mmより狭く、ハンガリーでは1870年代に建設が始まった。20世紀始めの数十年間に貴族の領土、森林地帯そして炭鉱地区に1000km以上線路が引かれた。目的は農業生産物、材木、石材そして鉱石の運搬であったが、旅客運搬も徐々に重要となった。第二次大戦後も道路不足のため、多くの地方で確実な移動手段として利用された。1968年交通政策により、全路線の廃止か決まった。残った路線の大半は1980−1990間に貨物運搬を廃止し、観光面での役割が重要になった。ハンガリーの最も美しい地方を今日も380km、19路線760mmと600mm(Almamelléki森林鉄道)の軌間を走っている。

アルマメルレーク森林鉄道
デブレツェン遊園地鉄道
フェルショタールカーニュ森林鉄道
ゲメンツ森林鉄道
メステグニョ森林鉄道
パールハーザ森林鉄道
シリヴァーシュヴァーラド森林鉄道
Nagycenk-Kastely駅 数々の狭軌蒸気機関車が静態保存されている。
客車。車内は、冬場も運行されているためストーブもある。 Gyongyos駅 Matrafured駅
ジュジ森林軽便鉄道
Mk48 ディーゼル機関車
Eger-Putnok郊外鉄道、シルヴァシュヴァーラド森林鉄道は1908年Wessely Karolyが、領地内の森林から木材運搬目的のため建設した。Bukk高原に600mm軌道の馬車鉄道、SzalajkaとTotfalu峡谷には760mmの蒸気機関車による森林鉄道を建設した。Szalajka-Fatelep駅と郊外鉄道(1931年より国鉄)のSzilvasvarad駅は、標準軌道のレールで結ばれた。Szalajka峡谷区間では、1920年よりIstallos-koの鉱山で採掘された石灰岩も運搬した。Totfalu峡谷路線は、1921年Kukucso峡谷まで延ばされた。Kukucso峡谷とBukk高原の間では1922年、760mm軌道の複線ケーブルカーの運行を始めた。1945年国営化の際、全長距離は22kmであった。Bukk高原線は1948年に760mmになり、乗せ換えることなく木材を運搬出来るようになった。1963−1966年にはディーゼル機関車の運行も始まった。1967年、森林道路の完成と石灰岩工場の廃止に伴い、貨物運搬は無くなり、路線はSzalajkavolgy(峡谷)-Lovaspalya-Szalajka Fatelep-Fatyolvizeses(5km)以外のレールは撤去された。ケーブルカー山頂駅と動力室は文化財に指定されている。 国鉄のEger-Putonok間に1967年、Szilvasvarad-Szalajkavolgy駅が新しく造られ、始発駅のSzalajkavolgy- Lovaspalyaより徒歩で僅かの距離となった。1984年、Szalajka-Fatelep駅には新駅舎と機関庫が造られた。1999年より蒸気機関車の臨時運転も始まった。この蒸気機関車は、セーチェーニィ博物館鉄道に静態保存されていたのを1998年修復され、394.057番号で運行されている。Szilvasvaradはマスの養殖が盛んで、塩焼きを是非味わって頂きたい。
D-04機関車 客車 Szalajka-Fatelep駅 Szalajka-
Fatyolvizeses駅
Dombrad駅構内に保存されている。
この森林鉄道は、メステグニョの森から伐採された材木をメステグニョの製材所や国鉄駅への運搬のために、フニャディ伯爵が1925年鉄道を建設したのが始まり。また、近辺の魚養殖所の運搬も請け負っていた。1945年国有化され、以後も馬車鉄道として運行していた。路線は1960年、Felsokakまで延長された。1960年、ディーゼル機関車による運行も始まり、それと同時に旅客運搬も始まった。Kakpuszta、Libickozma、Haromhaz、Koparpuszta、Lencsenpuszta そしてCserfekvesの住民にとって唯一の公共交通機関であった。この地区の過疎化、1986年以後の材木運搬減少により、観光鉄道の意味合が強くなっていった。路線は、Mesztegnyo−Felsokak(9km)の本線にSoponyai (4km)の支線からなる。最後の2km区間は1998年再び運行が始まった。